ビビアン・ウエストウッド 経歴
ビビアン・ウエストウッドは、イングランド中部ダービーシャーで、ヴィヴィアン・イザベル・スウェア(Vivienne Isabel Swire)として生まれ、若い頃は教師を志します。 ビビアンの最初の夫はデレク・ウェストウッドで、3年後の1965年に破局を迎え、1971年、無政府主義政治団体に所属して活動していたマルコム・マクラーレンと共に、初めてのブティック「レット・イット・ロック」をキングロード430番地にオープン。
1974年、ヴィヴィアンは、店名を大胆に変えます。
1975年にマルコム・マクラーレンと共にパンク・ロックバンド、セックス・ピストルズをプロデュースしバンドのメンバーはブティックの従業員や常連客。
このことでビビアン・ウエストウッドは、前衛的パンクのスタイルを流行させ、現在まで「パンクの女王」と呼ばれます。
1976年、店名ヴィヴィアンは「セディショナリーズ」に変更。 さらに1979年 ブティックを「ワールズ・エンド(World's End)」という名前に変えます。
1981年にヴィヴィアン初のキャットウォークコレクション。パイレート(パイレーツとも)コレクションを発表。"海賊ファッション"や"魔女ファッション"を提唱。
その後デザインの傾向を19世紀以前のヨーロッパの衣装からインスパイアされた、エレガントな路線に変え、1993年、レディース部門を分割。ファーストラインは"ヴィヴィアン・ウエストウッド ゴールドレーベル"、プレタポルテ、ライセンスは"ヴィヴィアン・ウエストウッド レッドレーベル"となりました。
2006年には、ファッションデザイナーとしての貢献によってビビアンにダイム(DAME)の称号を授与されています。
日本でも愛好者は多く、1996年には日比谷に旗艦店「Vivienne Westwood Tokyo」を開店。またこの年のミラノコレクションで、本格的なメンズライン、"ヴィヴィアン・ウエストウッド マン"を発表。矢沢あいや嶽本野ばらが好むブランドとして知られていあます。
マルコム・マクラーレンとの離婚後はアンロレア・クロンザラーと結婚。

